古代の戦争はどのようにAncient Duelのゲームプレイになったのか
誤った場所に置かれた優れたユニットには、ほとんど価値がありません。この一文は古代の戦争のほぼすべてを言い表しており、同時に、私が最も長い時間をかけて取り組んだデザイン上の課題でもあります。
軍隊が敗れたのは、兵士一人ひとりが劣っていたからではありません。陣形を早すぎる段階で投入してしまったから、強みを奪う地形で捕まったから、向き直れない方向から打たれたから、あるいは共に戦うことを前提に作られた支援を失ったからです。テーバイの神聖隊、スパルタの重装歩兵、マケドニアの長槍兵。いずれも想定された条件のもとでは恐るべき存在でしたが、いずれも、誰か別の者が選んだ条件によって無力にされうる存在でした。
そこでデザイナーには厄介な問いが残ります。誰も遊びたがらない軍事シミュレーターを作ることなく、それをどうやってカードゲームに落とし込むのか。
軍隊は戦士の寄せ集めではなく、システムだった
古代の軍隊について役に立つのは、その構成要素が互いに取り替えのきくものではなかったという点です。重装歩兵は地を保ち、結束によって勝ちました。そしてそれこそが弱点でもありました。戦列を保ったファランクスは正面からはきわめて崩しにくい一方で、同じファランクスでも起伏の激しい不整地に立てば、もはやファランクスではなくなってしまいます。ポリュビオスはマケドニアの陣形についてまさにその点を指摘しており、それは古代の戦術的判断のなかでも、現代の分析のように読める数少ないもののひとつです。
軽装兵や射撃歩兵が単独で戦いを決することはまれでしたが、彼らは戦いの形を作りました。投石兵や弓兵は敵を悩ませ、隊列を乱し、対応を強いたのです。この時代の地中海世界では、騎兵が隊列を組んだ重装歩兵の正面に突撃して打ち破ることはきわめてまれでした。騎兵が代わりに担ったのは戦果の拡大であり、側面、背後、輜重、そしてすでに崩れかけているものすべてを狙うことでした。
これらの要素はどれも、単独では意味を持ちません。騎兵が危険だったのは、歩兵が敵をその場に釘付けにしてくれたからです。歩兵が持ちこたえられたのは、誰かが側面を抑えていたからです。この相互依存こそ、特定の武器や陣形よりも、私がゲームに本当に取り入れたかったものです。
ですからAncient Duelでは、カードを単体で読む意味はほとんどありません。「ヘタイロイ騎兵」は歩兵ユニットをコントロールしているときにだけ攻撃が強くなります。「ラコニアのファランクス」は、すでに場に歩兵ユニットが1体以上いるときにだけ歩兵を強化します。フィリッポスとアレクサンドロス大王が軍の中核に据えた戦法にちなむ「鉄槌と鉄床」は、歩兵と騎兵を同時にコントロールしていなければまったく何もしません。カードテキストがしていることは単純ですが、それが身につけさせる習慣は歴史的なものです。このユニットが何をするかを問うのをやめ、あのユニットの隣で何をするかを問い始めることです。
配置は強さと同じくらい重要になりうる
テルモピュライはわかりやすい例であり、わかりやすいのには理由があります。十分に狭い隘路は、大軍からその数を生かす力を奪います。だからこそギリシア軍の陣地はあれほど長く持ちこたえ、迂回路が見つかった瞬間に崩れたのです。ガウガメラはその逆です。ダレイオスは自軍の数と鎌戦車が力を発揮できるよう、あえて平坦で開けた土地を選びました。それでも、アレクサンドロス大王がペルシアの戦列を引き裂き、そこに生じた隙間へ突き進んだことで敗れました。カンナエでは、ローマ軍は戦いで負けたというより配置で負けたのであり、両翼が背後で閉じたとたん、自らの兵数の重みが足かせに変わったのです。
移動システムは欲しくありませんでした。グリッドや向きのルールは別の種類のゲームを生みます。私が作ろうとしていたものより遅く、手続き的なゲームです。私が求めていたのは、ルールブックを背負わせることなく、配置に判断を担わせることでした。
そのためAncient Duelの戦場は意図的に小さく作られています。各陣営には通常のユニットのための4つの位置と、指揮官専用の中央の位置が1つあり、この専用枠は厳格です。指揮官は中央にしか配備できず、ほかのものはそこに配備できません。盤面は地図ではなく、指揮官を中に抱えた陣形なのです。
判断はもうひとつの軸にあります。ユニットは攻撃表示で立つこともできます。この場合は攻撃できますが、反撃を受けたときにはATKで比べられます。あるいは守備表示で立つこともできます。この場合は攻撃できませんが、DEFで比べられます。裏側でセットされたユニットは正体を隠したまま守備表示で場に出て、相手は攻撃してみて初めてそれが何かを知ります。そのターンに配備されたユニットは表示形式を変更できないので、選んだ構えとは1ターンのあいだ付き合うことになります。さらに、いくつかの効果がユニットの表示形式を、ときにはテーブルの向こう側まで動かします。「マケドニア王アレクサンドロス」は、1ターンに1度、どちらのフィールドの表側のユニットでも、彼の選んだ表示形式にさせることができます。
要点は、配置が目に見えるということではありません。カードがどこに置かれ、どう構えているかが、それへの応手がわかる前に下す決断だということです。
地形は軍隊の価値を変える
地形は古代の会戦の単なる舞台ではなく、どちらの軍が力を発揮できるかを選ぶものでした。川の線は渡河点を押さえた側の価値を高めました。丘は鎧をまとって坂を攻め上る者を罰しました。起伏の激しい土地は、開けた土地のために作られた陣形を台無しにしました。指揮官たちは自軍の強みが生きる場所で戦おうと多大な労力を払い、それが将帥の務めの大部分を占めていました。
Ancient Duelの地形軍略は、特定の場所を描写したものではありません。「狭き山道」はテルモピュライの地図ではありませんし、そうだと言い張るつもりもありません。それはただひとつの考えを抽象化したものです。戦場は、そこで起きることに対して意見を持つべきだ、という考えです。
地形軍略を面白くしているのは、戦場がひとつしかないという点です。地形ゾーンは共有で、表側にできる地形軍略は同時に1枚だけなので、自分の地形を発動すると、相手がそれまでに築いていた地形は破壊されます。両プレイヤーが同じ土地を欲しがり、手に入れられるのはどちらか一方だけ。3秒で決着がつくとはいえ、これはおおむね歴史上の問題の正しい形をしています。
どの地形も、ルールをそれぞれの勢力に有利な方向へ曲げます。「狭き山道」は自分のユニットのDEFを1上げ、相手が宣言できる攻撃を1ターンに1回に制限します。これは、狭い空間では軍隊が持てる力のすべてを使えなくなるということを、ルールの形で言い表したものです。ダキアの「森の小道」は守備表示のユニットに対する攻撃力に限って上乗せし、守る敵をその陣地からこじ開けるために作られた軍に報います。ペルシアの「オアシスの野営地」は攻め寄せてくる攻撃ユニットを弱らせ、ローマの「要塞野営地」は、すでにユニットを1体失ったターンには直接攻撃を封じます。
指揮官は数値ではなく、戦いそのものを変えるべきだ
これはデザインのなかで私が最もこだわった部分であり、最初に間違えた部分でもあります。
名将を手軽に表現するなら、大きな数値の書かれたカードになります。しかしそれは退屈であり、さらに悪いことに、歴史的にあべこべです。ハンニバルが記憶されているのは、個人としての戦闘力のためではありません。トレビア、トラシメヌス、カンナエのため、つまり相手の強みが意味をなさなくなるように戦いを組み立てたためです。アレクサンドロス大王が記憶されているのはひとつの戦法のため、そして自ら隙間へ身を投じるべき瞬間を正確に見抜いていたためです。レオニダスが記憶されているのは、守りうる陣地を守り抜いたためです。この男たちを特別な存在にしたのは、彼らの周りで軍隊がどう動いたかでした。
ですからAncient Duelの指揮官はどれも、計算で戦闘に勝つためではなく、あなたの戦い方を変えるように作られています。彼らもユニットであり、戦わなければならないことに変わりはありませんが、その数値は彼らについて最もつまらない部分です。
「機動の名手ハンニバル・バルカ」は、登場した瞬間に敵ユニット1体を守備表示にし、1ターンに1度、対象の攻撃力を削ることができます。これは交戦に勝つためのカードというより、交戦の条件を押しつけるためのカードです。彼のもうひとつの側面は、攻撃した後のユニットを守備表示に戻らせることができるので、攻めることが一方通行の決断ではなくなります。「スパルタ王レオニダス」は守備表示の自分のユニットを相手の戦術の効果を受けないようにし、相手が試みられることそのものを変えてしまいます。「属州の建設者トラヤヌス」は地形軍略を除去から守り、墓地から歩兵を呼び戻します。これは、フレーバーテキストではなくプレイスタイルとしてローマの土木技術を表現するために、私がたどり着けた最も近い形です。
どのカード単体よりも重要なルールもあります。自分の側で表側にできる指揮官は同時に1人だけで、2人目を配備すると1人目は墓地に送られます。指揮は積み重ねられるものではありません。選ぶものであり、考えを変えれば、すでに送り出した男を失うことになります。
タイミングは武器である
誤った瞬間に下された正しい判断は、正しい判断ではありません。早すぎる段階で投入された予備隊は前線の兵が増えるだけですし、敵をその場に釘付けにする前に仕掛けた突撃は、無傷の陣形への突撃にすぎません。古代の戦記に残る興味深い失敗のほとんどは、勇気や装備の失敗ではなく、タイミングの失敗です。
Ancient Duelでこれを担うメカニズムは、ひとつの共有エネルギープールです。最大値は6から始まり、3ターン目以降は1ターンごとに1ずつ増え、蓄積されるのではなく自分のターンの開始時に補充されます。あらゆることがこれを奪い合います。攻撃には各ユニットに記載されたエネルギーがかかり、レベル5か6のユニットを配備するにもそのエネルギーがかかり、軍略や戦術の発動には1かかります。使わなかった分は、プールが補充されるときに消えてしまいます。
あらゆる種類の行動をひとつのプールでまかなうことは、このゲームで最も大きな影響を持つルールです。毎ターンをチェックリストではなく予算に変えるからです。最も重いユニットで攻撃し、同じターンに指揮官も配備する、ということはしばしば不可能です。通常配備も1ターンに1回だけなので、送り出したユニットが手持ちのユニットになります。ゲームが何度も繰り返し問いかけるのは、何をしたいかではありません。今何が重要で、何が待てるのか、です。
ユニットの価値は隣に立つものによって決まる
古代の陣形は、ほとんど定義からして相互に支え合うものでした。盾の壁が機能するのは右隣の男がいるからであり、散兵は戦列を守ってからその隙間を通って退き、諸兵科連合の論理とは、各要素が別の要素の弱点を補うことにほかなりません。
Ancient Duelはこれを、主に位置関係ではなく条件によって表現しています。「スパルタ重装歩兵」は、ほかのユニットを1体でもコントロールしていれば強くなります。「盾持ちの若者たち」は登場時に歩兵ユニット1体を強化します。「連携突撃」は、歩兵をコントロールしている状態で騎兵が攻撃したときにだけ効果を発揮します。これは鉄槌と鉄床を1行のテキストに圧縮したものです。守備表示の「メジャイ衛兵」は、相手がほかのものを対象にできないようにします。これは、ユニットの価値が何を倒すかではなく何を守るかにすべてかかっている、最もわかりやすい例です。
実際的な帰結として、ATKとDEFはカードの評価の始まりであって、終わりではありません。3/1の騎兵ユニットは単独では脆くても、ふさわしい仲間と一緒なら危険な存在です。盤面を読むとは、その上の関係を読むことです。
抽象化こそが仕事のすべて
ここでの単純化の大きさについては、はっきり言っておきたいと思います。そうでないふりをすれば、最初の記事が避けるために書かれたのと同じ不誠実さになってしまうからです。
現実の古代の会戦には、数千から数万の人間、補給と水、前触れもなく崩れうる士気、遅れて届くか、まったく届かない命令、砂塵と天候、指揮官が完全には見ていない地形、経験の差が極端な兵たち、そして多くの運が関わっていました。それを再現できるカードゲームはありませんし、再現しようとするカードゲームは、正確になるはるか前に遊べなくなってしまうでしょう。
したがってデザインとは、主に何を捨てるかを決めることです。Ancient Duelが残すのは短いリストです。ユニットは互いに依存する、地形が重要である、構えは決断である、資源には限りがある、指揮は振る舞いを変える、そして相手が持っているものをすべて見ることはできない。それ以外はすべて捨てます。目指しているのは古代の戦場を再現することではなく、指揮官なら見覚えのあるいくつかの問いを残しておくことです。
戦場の課題からカードの効果へ
説明するより、その過程を見せるほうが役に立つかもしれません。以下はどれも、歴史上の観察から始まり、デザイン上の問いになり、最後にプレイヤーが判断しなければならないものになりました。
狭隘な地形
大軍は、限られた空間ではその優位を常に生かせるとは限りません。問いは、移動や距離のルールなしに、戦場がどうやって選択肢を奪えるかでした。答えは、相手が1ターンに宣言できる攻撃の回数に上限を設ける地形軍略でした。それが生む判断は、いつエネルギーを使って地形を敷くか、そして実際に圧力がかかるターンまで温存するかどうかです。
戦果拡大としての騎兵
騎兵は正面からの勝負に勝つのではなく、乱れや隙を罰するものでした。問いは、移動システムなしにどうやって騎兵を歩兵とは違う手触りにするかでした。答えは条件付きの攻撃性です。「メディア騎兵」は攻撃するときには体格をはるかに超える一撃を放ちますが、反撃を受ければひどく無防備になります。「ヌミディア騎兵」は攻撃の後に守備表示になり、いくつかの騎兵の効果は歩兵も場にいるときにだけ発動します。判断は、目の前の隙が本物かどうかです。
陣形と結束
陣形が生き延びたのは、隣に立つもののおかげでした。問いは、向きや隣接のシステムなしに、あるユニットが別のユニットの守りをどう助けられるかでした。答えは、自分がコントロールしているものに応じて働く条件と、「戦列死守」や「盾の壁の応戦」のように歩兵への攻撃を完全に無効にする戦術でした。判断は、その答えを今使うか、もっと悪い瞬間のために取っておくかです。
指揮
指揮官は軍の動き方を変えました。問いは、より大きな数値を印刷することなく、それをどう表すかでした。答えは、可能なことそのものを変える効果を持つ指揮官でした。敵ユニットを守備表示にする、地形を除去から守る、守備ユニットを戦術の効果から守る、墓地からユニットを回収する。判断は、どちらの姿の指揮官を軸にデッキを組むかです。それぞれが2枚の異なるカードとして存在し、フィールドに出せるのは1枚だけだからです。
カードが思いのほかこれに向いている理由
カードゲームには、ほとんど偶然のように軍事的な意思決定にぴったり合う構造上の特徴がひとつあり、私はそれに気づくまでしばらくかかりました。自分の資源を自由に使えない、という点です。
デッキは、持っているかもしれないもの。手札は、今すぐ行動に移せるもの。エネルギーは、その手札のうちどれだけをこのターンに何かに変えられるかを制限します。盤面は、それをどこに置けるかを制限します。そして相手の手札はあなたには見えません。見えるのは枚数だけで、中身は何ひとつわかりません。ただし両者の墓地は公開されているので、すでに使われたものは確かな情報源になります。
この組み合わせが、追加のルールをひとつも加えることなく、不確実性のもとでの計画を生み出します。攻撃に踏み切ってから、相手が2ターン前に応手をセットしていたかどうかを知る。より良い機会のために戦術を温存し、その機会が一度も来ない危険を冒す。パスされたターンと2枚の裏側のカードを読み、それが罠なのか空っぽの手札なのかを判断する。適応、リスク、タイミングは、後付けされたシステムとしてではなく、この形式の帰結として生まれてくるのです。
これらのどれも軍事史を教えるものではありませんし、そう主張するつもりもありません。できるのは、何かを読む前から、ある種の問いを自然なものに感じさせることです。狭い陣地が強い軍勢の勢いを削ぐこと、騎兵が壁ではなく隙を求めること、指揮官の価値は何を打ち倒すかよりも何を可能にするかにあること。プレイヤーがそうしたことに気づいたなら、ゲームは問いを投げかけたことになります。答えは歴史が持っていて、それは私がカードに載せたどんなものよりも面白いのです。
シミュレーションを取り去ったあとに残るもの
Ancient Duelは古代の戦争をモデル化しようとはしていません。その問題のいくつかをそのまま残し、テーブルを挟んだ二人に手渡そうとしているのです。
何を投入し、何を控えておくか。相手も同じ土地を欲しがっていると知りながら、どの土地で戦うか。プールは補充され、何も持ち越されないと知りながら、今何を使うか。いつ攻撃し、いつ待つことがより強い一手になるのか。あの裏側のカードの下に何があると考え、その読みにどれだけ賭けられるのか。
どれも小さな問いであり、1から6までの数値で表されています。しかしそれらは、はるかに大きく、はるかに血なまぐさい形で、古代の戦場から誰が生きて帰るかを決めた問いでもあります。単純なシステムが難しい判断を生み出し続けるとき、ゲームは戦略へと変わるのです。
Daniel Rusu
Ancient Duel クリエイター & 開発者